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高比良 哲氏 [版画]

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ひとつの版からたくさんの作品を生み出します。ただしそれはひとつとして決して同じものはありません。
例えば1回の刷りで完成する作品もあり、100回の刷りで完成する作品もあるのです。
まず、その作品について伺いました。

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作品をつくるプロセスで生まれる作品。
瞬間に起きるハプニングが作品となるのです。
偶然の繰り返し。思いもしない色や形が一瞬の刷りで現れる・・・そこが魅力なのです。
彼の版のスタートはアンディーウォーホールのマリリンモンローの作品。
美病なズレが気になって・・・

こちらは版です。
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版も素敵です。微妙なインクの混ざり合いによって生まれる版の数々。

「絵が苦手なんです」とおっしゃっておりましたが・・・
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釧路で滞在し、お世話になった方々を描いていらっしゃいます。
彼自身は斜視でものを判断するのは形ではなく、色なんですとおっしゃっておりましたが、柔らかな何本もの線から伝わる被写体の様子が手に取るように伝わってきます。
ts14.jpg奈良県出身で中学一年生の時に不登校になり、大阪から海外に渡りました。
版画を勉強するために各地を移動し、2011年にハワイ大学大学院美術学科版画家選専攻修了するのです。
2011年、ハワイ大学の招聘アーティストとしてハワイを訪れていた、アーティスト・富田俊明氏(北海道教育大学美術講師)のレクチャーを聴き、ワークショップに参加、その縁で釧路に滞在。そして釧路での様々な出会いを通して作品を制作なさいました。
彼にとって制作するということは生きるという行為そのもの。作品にはその人がすべて出ると思うので・・・
そして、アートとは彼にとって「刷ること」。

管 啓次郎氏&富田 俊明氏&中村 絵美氏 [etc.]

2012.0318 18:00〜22:00 喫茶ジスイズで開催されたシンポジウム
テーマ:「土地、神話、美術 ネイティブ感覚と現代美術の可能性」
管啓次郎氏:明治大学大学院理工学学研究科新領域創造専攻ディジタルコンテンツ系の教授。
      コンテンツ批評とデザイン人類学を2本の柱として研究。詩人。
富田俊明氏:北海道教育大学美術講師。相模原出身、山伏の修行をした美術家。
中村絵美氏:道南出身、北海道教育大学岩見沢校で芸術過程を卒業、現在は明治大学大学院理工学研究科で勉強中。
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まずは今回のテーマについて、それぞれの立場からどう関わっていらっしゃるのかを伺いました。

管氏・・・
この20年位 世界中の先住民といわれている人たちがもっている感覚のことを考えてきた。
現在の流れは非常に間違った方向にむかっていると感じる。
もしその方向転換ができるとしたら 
土地との感覚、土地に生きている他の生物との関係、それを見直さない限りは道はないと思ってきた。
美術家は一種の原始人だと思う。
見失った感覚を一番ものとのかかわりの中で取り戻そうとしている人たちだと思うから。
現代の人間社会がもっている想像力の限界をつきつめること、
実はものすごく限られた部分でしかかかわっていない。
でも、その部分を押し広げるための努力を重ねているのが一人一人の現代美術家だと感じる。
富田氏・・・
ある種、現代人がかかわるもの、限界状況で思考していること、記憶喪失を自分的には相模原病と名付けた。それはある意味創造の病かもしれない。
創造の病とは、創造するために、自ら病的な領域に入ってくこと。
創造は、日常の常識的な意識からは生まれてこない。そこで、自ら、それを打ち破って、精神病に近い領域や、もっと奥まで探求しに行く。
その状態は、外からはまるで病気のように見える。
芸術家は、その病から何かを獲得して、こちらの世界に帰ってきて、それを伝えようとする。
この一連の動きを、創造の病、と呼びます。
その病から回復するのは美術作品かどうかわからない。
本気で克服すること自体が、全人生をかけて何かを作り出すこと。
そういう意味では誰もがアーティストになれると思う。
それを自分の問題として考えているのはもしかしたら現代美術家なのかも。
中村氏・・・
同じまちに18歳まで住んだ。アウトドアが好きな父親に野外に連れていってもらい
シカやカモを食べたり、色々な体験を幼い頃からした。
ある意味、まちからのドロップアウト。それが創作の時に障害になった。
まちと自分をみる作品をつくった時に見せ物感があった。
それを切り売りしている自分がいた。

続いてネイティブ感覚について管氏、冨田氏、中村氏に伺っています。
03184.jpg 人間は本来どこかの土地に所属して生きることができたもの、か弱い存在だったと思う。
まず、物質的所属。その土地でとれるものを食べて、その土地の水を飲んで命をつなぐ。
次に霊的所属。先祖の眠っている土地の歴史があり、
そのうえで自分が生きている。その土地との絆は断ち切れないもの。
最後はそこの土地が美しいと思うもの。
全部にイエスといえる人がその土地に生きている人。でも多くの現代社会に生きる人にはそれがない。
寂しいことだと思う。その土地の動植物のことを知らないのは寂しいこと。
多くの動植物に支えてもらっていることを知らない、知ろうとしないことは自分たちにとって哀しいこと。
そういったまちがった生き方を多くの現代人が強いられている。
なぜなら
・土地からきり切り離されてしまった。
・商品という形で自分の生命を支えてくれるすべてのものを得ている。
それはそもそも近代の成長してきた至上社会が根底にあり、お金ですべてが解決できる生き方を全面的に見直さなければならないことだと思う。
その切り口になりそうなのが現代アート・・・


03186.jpg 相模原は典型的なベッドタウン。
そこを支えているのはすべてもっているということ。ただあるだけではない。
一方で山形出身の母の土地にいくと、土地にまつわる話をきかされ、それは自分にとって関係のあることばかり。
その違いはなに?
その土地が僕を知っているということ。見ているということ。
僕がもたれている、抱かれているということ。関係が相互的。
30歳の時にもっと積極的に自らつくっていこうと思い、山伏修行を。
外側から景観をかえたりすることではなく、内側でおこること。それが僕にとってのネイティブ感覚。


03185.jpg 菅氏の本を読んで、ネイティブアメリカンのことを書いてあるはずなのにこれって自分のこと?
私って現代人じゃない?と感じた。
いきなり名付けられた感じで、自分はまだ把握していない。




アメリカインディアンの話。
管氏がアメリカインディアンの研究をしていた時代
様々なインディアンがそこに来ていて、彼らは自分達の文化伝統について何もしらないことに驚く。
ただ切実だから必死。知識として知らないのみならず、自分達の中でそうしたものがすべて忘れられたところから始めている。
要は、どう追求するのかひとりひとりの問題になる。
あらかじめ与えられてものではなく、一人一人が自分をどういうるふうに作っていくのかということ。
どこかのグループに属しているからその伝統や知識がよくわかっているという状況ではない。
みんなが何もないところからはじめている。
何もないところからもう一回何かを再発見していくプロセスが美術の条件と非常に重なってくる。

現在は伝統を受け継ぐものが形骸化されている。
そこに不足を感じる人がつくっていく側にまわっているのでは?
ここでブッシュマンの話。
彼らには二つの飢えがある。身体の飢えと心の飢え。
その飢えを満たすために彼らは物語を作ったり、何かを描いたり、踊ったりする。
逆説的には心の飢えを感じない人にアートはないと思う。
現代のものがあふれる生活の中で、心の飢えを感じる人だけがそれをつくりにいく、それがネイティブ感覚だと思う。

アーティストがおもしろいのは、個人の何かを追求しているけれど
個人の話にとどまらず、人類という全体がもっとどこか別のところにいけないか、
別の生き方ができないか探っているというところ。

アーティストは自分の命を救おうとしているから切実だし意味がある。

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秋元 亮太氏 [photo]

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釧路に生まれて、釧路に住むカメラマンの秋元氏が感動したこの道東の魅力を1コマ1コマファインダーを通して作品にしました。

ar2.jpg 秋元氏の表現する作品はタッチも自然でやわらかく、色も淡いのが特徴的です。
 特にパソコンで加工するわけではないのですが、
 どうしてこんな優しい感じに撮ることができるのかとても不思議です。
 それは朝もやや霧など自然がつくりだす環境を身体で感じ、
 そのものをファインダーにおさめることができるから・・・だとは思うのですが、
 やはり秋元氏の身体を通して表現されたということは
 彼の性格もそこには現れているのだと思います。

 
秋元氏の一番のお気に入り・・・・・
ar1.jpg  塘路湖で結氷した湖の湖面を撮影したものです。
 氷の気泡がたくさん見えるのですが、一カ所だけ光っています。
 ここに朝日がまるでスポットライトがあたっているように見えます。
 自分が思い描いた映像がそのものカメラのモニターに現れた瞬間「やった!」と思われるとか。
 その瞬間を切り取ったものがこの写真です。

 アートとはその人そのもの。その人自身の内面が現れるもの。
 自分が受けた感動をより多くの人たちに共有してもらえたら嬉しい。

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※現在釧路市在住
※写真は秋元亮太氏からお借りしました。
※2011.1221〜2012.0303 釧路 珈琲館ポニーで個展を開催
秋元亮太氏のhpは・・・
http://www.ezo-photo.info/

佐々木 要氏  [工芸]

zairyou.jpg十勝幕別の廃校を工房にして制作活動をなさっている佐々木要氏。
実は息子さんも一緒に制作活動をなさっています。
しかも兄弟揃って・・・
まずはお父様の要氏からお二人をご紹介いただきました。

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それぞれの性格が作品に表れるとのことで、要氏からご長男の允氏、次男の匠氏の特徴を伺ってみました。
そして、お二人にはお父様の作品について伺っています。
允氏はグラフィックにも携わっていたことがあるそうで、これからはお皿に絵をいれること、そして漆にも興味があるそうです。また、匠氏は器だけにこだわらず他のものにも挑戦なさりたいとか・・・

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写真は左から匠氏、要氏、允氏です。
そもそも10年働いていた会計事務所を辞め、奥様の実家の木材関係の仕事場できれいに製材されて出てきた木の美しさに衝撃を受けたのがはじまりです。
十勝の森には30種類位の広葉樹があります。それぞれに個性があり、きれいな年輪があります。もちろん同じ木でもまったく表情の違ったものがあります。木の育んできた歴史が違うからです。
例えば・・・左からキタコブシ、ハルニレの埋木、ミズナラの埋木ですが、味わい深いですよね。
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30年ちかくも木に関わっていらっしゃる要氏に十勝の木を使う意味について伺いました。
もちろんまずは十勝が大好きだから・・・そして・・・

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要氏は木の持っている可能性をたくさんご存じです。
実はもっと軽やかにフワフワしている浮遊感のある器を作られてもいます。また、広葉樹の種類や特徴、性格もご存じです。もっとみんなに広葉樹の素晴らしさを伝えたいということで様々なアイディアで木の素晴らしさを伝えてくださってもいるのです。
作ることはもちろんですが、他の方法でも伝えることができるのでは・・という思いが彼を突き動かしているのです。

kaname4.jpg重ねていく年輪の美しさ、その年輪には様々な出来事が隠されています。人の顔と同じようにひとつとして同じものはないのですから・・・
木が大好きで
木のそばにいることができて幸せで
木の表情や色をもっとみんなに知ってもらいたくて
制作を続けていらっしゃる佐々木氏。

「このままうまくいくかどうかは別として
僕は今こんな時間を過ごすことができてすごく幸せです」




※現在幕別町在住
工房 十勝の木のうつわのhpは・・・
http://www.tokatinokinoutuwa.com/




吉野 隆幸氏 [現代art 立体]

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建築家でもあり造形作家でもある吉野氏。はじめは建築とアートを同一軸線上で考えることをあえてしなかったそうです。しかし、1998年に流木をつかって環境アートを手がけてから彼の思考は変化し始めました。


北のレンガに出会い4000個のリンゴ箱のうち150個のリンゴ箱を譲り受けました。
なぜそこにそれだけのリンゴ箱が残っていたのか?ずっと気になっていたそうです。
北のレンガの以前の所有者はどんな気持ちでリンゴ箱をずっととっておいたのか?

現在はそのリンゴ箱を使って作品を表現なさっています。
そもそも建築の道に入ったのは・・・・・・

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造形作家として作品づくりで一貫しているテーマは・・・「場」への鎮魂。
これは彼の中での隠れたテーマです。

y14.jpegその思いがあってこそ作品が生まれてくるのです。
そのため作品づくりのコンセプトを作る前に一番時間をかけて行うことが現地での構想。
まわりの雰囲気を感じ取りイメージをふくらませ、
歴史的なことを調べて
作品のプロセスにつなげていくのです。





y002s.jpeg 作品づくりは自分自身のリハビリ。アートは自分でリハビリをしながら自分自身を転写していくことに他ならないからアートはその人の生き様。
まさに人生だよね・・・とおっしゃる吉野氏。

建築とアートに違いについても伺っています。
自分と最終的に向き合うことにはかわりはありませんが、建築の仕事は相手があってこそ成立します。

そこにお金が関わるかどうかは別としても、
ひとつの作品として完成させるまでにかかるプロセスは違っていても、

ひとつの作品をつくりあげるということでは、根底に流れる吉野氏の思いは同じなのかもしれません。


※現在帯広市在住
※写真は吉野隆幸氏からお借りしました。尚、「池の上に浮かんだりんご箱」の作品はネイチャーフォトグラファー:佐藤昭代氏の撮影したものです。

竹本 万亀氏 [切り絵]

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竹本氏が大好きなもの同士を組み合わせて切り絵で表現する。
例えば・・おはぎになったカエルがいたり、丼の中にカエルが入っていたり。
そんな作品の紹介からはじまります。
tekmotomaki.jpg 使っているのは、つや紙とデザインカッターのみ。
とにかくデザインカッターで切っていく感覚が好きなんです。
「そもそもは手元に集中して作業に没頭できることが自分に向いていたんですね」
小学校2年生の時、おとうちゃんと呼ぶ竹本氏が預けられていた恩人に切り絵を教わったのがはじまりなのです。当時デザインカッターは珍しく、
先の尖ったシュッシュッと紙が切れていく感覚が竹本氏を虜にしました。
今もその時に買ったデザインカッターは大事に持っているそうです。
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作品づくりでいつも思っていること・・・それは
見た方がクスッと鼻で笑ってくれるような作品を作ること。

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はじめて竹本氏の作品をみた時にはその線の細かさにビックリしました。
大学時代の作品ですが、まるで毛細血管のような模様の中にイキモノたちがいて・・・
細かい線に一体どんな方がこれを作っているのか?不思議に思ったことを思い出します。
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これからは光を通して作品をみせてみたいという思いと、
大きな画面に制作してみたいという希望があるそうです。
壁紙で自分の部屋が埋まってしまうみたいな・・・

2011年12月から2012年2月まで札幌のJRタワー東コンコース
「ART BOX」での展示が決まっています。


札幌JRタワーでは、コンコース・モール・駐車場・店舗など、様々な場所に多彩なアートが共演。JRタワーアートプロジェクトでは、北海道のアーティスト達に新たな発表の場を提供することを目的にJRタワー1階東コンコースにアートボックスを設置しました。2009年度からは一般公募した作品の中から優秀賞に選ばれた作品を3ヶ月ごとに展示しています。


※現在釧路市在住
※2011.12〜2012.2まで札幌 JRタワー1階東コンコース ART BOXに展示。


村上 陽一氏 [絵画]

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普段は人物画をメインに大きな作品を描かれています。人物画は難しいけれど、苦しいけれど、おもしろいとおっしゃる村上氏。
描いていてやりがいを感じるそうです。

my4.jpg 村上氏の中で、ストイックに描きたいもの、楽しく可愛いものとがあるそうで、別々に描かれることもあるそうですが、一緒になっていたりするものがあり、不思議な世界観が作品の中に拡がります。
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小さな頃から絵を描くことが大好きでした。
高校2年の時に「もっと描かなくては」と思い立ち美術部に入部。
そこから現在までずっと描かれています。その時々で印象画的だったり、モノトーンの世界だったり、
最近は明るい色調にも挑戦なさっているとか・・・

my7.jpg 大きな作品も小さな作品も共通するコンセプトは・・・
 古ぼけた感じをイメージしつつ、
 その表現を使って作品としては
 新しさを感じられるもの。

 村上氏にとって作品づくりは日常の中のひとつ。
 特別なことではありません。

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 アートは自分にとってなくてはならないもの。
 欠かせないもの。
 これが確かな事実なのです。



※現在帯広在住
※2011.0903〜0925帯広 弘文堂画廊 ART CASEで個展を開催
村上陽一氏のhpは・・・
http://www8.plala.or.jp/seisyou/



阿部 典英氏 [現代art 立体]

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美術家 阿部氏は様々な素材をつかって作品づくりをなさっています。
おそらくメッキに関しては他に使われる作家がいないのでは?と言うほど、ありとあらゆる素材が阿部氏の発想のもとでは作品に生まれ変わっていくのです。


一貫しているテーマは「人間愛」。
自分の思いをどう表現するのか?常に考えていらっしゃるそうです。ただし、その根底にあるのは「愛」お父様が旧ソ連の捕虜となられたり、また札幌から疎開して島牧村にいかれたことが阿部氏の中では大きなウエイトをしめているのだと思われます。

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2010.8.29〜帯広コンテンポラリーアート2011で作品を展示。
出品作品「ネエ ダンナサン 或いは 告・克・刻」について伺いました。

※現在札幌市在住
※2011.0829 帯広コンテンポラリーアート2011に出品。


佐藤 弘康氏  [photo]

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山形県生まれ、新潟育ちの佐藤氏がなぜ北海道の別海に・・・というお話しからスタートです。

酪農日本一の町が別海だとツーリング雑誌に書いてあったので足を運んだのがそもそものはじまり。
3日間で酪農家の写真を撮らせてもらうはずが・・9年が経ち現在に至っています。
お父様のカメラで乗り物を撮り始めたのがカメラとの出会いでした。

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やはり人と牛と信頼関係が出来、懐の中に飛び込んで撮影をすると出来上がる作品は違うのです。

satoh1.jpg働いている人の気持ち、牛の接し方がわかってくると被写体との一体感や空気感までが作品に現れてきます。他にも沢山職業はあるのにどうして酪農に焦点をあてたのでしょう?
牛乳が大好きだったのでその現場を見たかったこと、
酪農家の牛に対する深い愛情、
そして、地に足をつけている姿に惹かれたそうです。
大変だったことは・・子供達のパワーに押されながらも野球をしたり、
牧草ロールで遊んだりしたこと。
子供達の元気のよい顔や生き生きとした表情はそんな経験があったからこそ。
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佐藤氏が伝えたいこと・・・・・
それはごく日常的なこと。
親の背中をみて子供は育ち、
子供は親の傍らで愛情をうけてすくすくと育つ。
日常が育む家族の絆、愛情。
彼は、カメラという手段を使って現場の空気を伝えています。





※現在別海在住
※2011.0806〜0828浜中にある霧多布湿原センターで個展を開催
※写真は佐藤弘康氏からお借りしました。
佐藤弘康氏のhpは・・・
http://www.satoeyes.com/

勝野 好則氏 [工芸]

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ガラス工房hum-peを1993年から立ち上げ、「北海道らしさ」を常に追い求めている勝野氏。
彼が理想とする北海道らしい器とはいったい何でしょう?
勝野氏も自問自答を繰り返す毎日だとか・・・


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最近は地元で頑張っている企業がお互いに共鳴しあい、コラボレーションする機会が増えてきたそうです。

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作品をつくり冷やす作業を終え、翌日作品を出すまでの間が一番ワクワクする楽しい時間なのだそうです。
何十年やっても予想通りにいかないものもあるそうで、翌日作品が冷えてできあがるとガッカリすることも多々あるとか・・・・・
火ももつ魅力にも何か不可思議なものがあるのかもしれません。



2010.8.15〜帯広コンテンポラリーアート2011で作品を展示。


※現在帯広市在住
※2011.0815〜0821帯広コンテンポラリーアート2011に出品。
※写真は以前個展をなさった時に撮影したものを勝野氏からお借りしました。
勝野 好則氏のhpは・・・
http://www10.plala.or.jp/humpe/index.html

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